この記事では、弱虫ペダルに登場する館林元成(たてばやしもとなり)がどんなキャラなのか紹介しています。
弱虫ペダルのインターハイでは、21チーム総勢126人もの選手がレースを行います。
ほとんどのキャラは名前や顔すら分からないままですが、ごく一部の脇役は顔や名前だけでなく、多少の活躍を見せます。
今回は、そんな脇役の中で「館林元成」というキャラにスポットをあてて紹介したいと思います
館林元成の基本情報
館林元成(たてばやしもとなり)は、1年目のインターハイに出場したキャラです。
作中で判明している基本情報を記載します。
- 高校:長野中央工業高校の3年生
- 脚質:クライマー
- ゼッケン:61番
- 異名:アルプスの山守(やまもり)、鉄壁の館(たて)
- 自転車:TREK(車種不明)
イケメンっぽい感じで、中肉中背といった見た目です。
身長、体重は不明ですが、クライマーということを考えると、身長170cm前半、体重50kg半ばぐらいではないかと思います。
ゼッケンの下1桁が「1」なので、長野中央工業高校のエースであることが分かります。
「アルプスの山守」という異名は、翌年に後輩の粟頭弓親(あわがしらゆみちか)に受け継がれました。
弱虫ペダルの脇役が使う異名は、意味が分かりそうで、あんまり分からないので、雰囲気だけつかんでおけばいいと思います。
自転車は青と白のさわやかなカラーリングのTREKです。
他のチームメイトも同じ色のTREKに乗っていますので、長野中央工業は自転車のブランドと色が決められているのかもしれません。
館林元成の声優と俳優
館林を演じた声優さんと俳優さんについて紹介します。
声優
館林の声優は、斉藤壮馬(さいとうそうま)さんです。
同時期にやっていたアニメでいうと、山口忠(ハイキュー!!)役等でおなじみの方ですね。
特に特徴のようなものはないですが、イケメンっぽい館林にあった声だと思いました。
俳優:舞台
舞台では、新開隼人を演じていた宮崎秋人(みやざきしゅうと)さんが、館林役も兼任していました。
弱虫ペダルの舞台では、脇役は誰かが兼任するのが当たり前なので、「新開役の人だなあ」と分かっていても、館林だと思って見ないといけません。
俳優:実写ドラマ
実写ドラマでは、稲垣成弥(いながきせいや)さんが演じていました。
弱虫ペダルの実写ドラマでは、舞台の役者さんがそのまま演じることが多かったのですが、宮崎さんは新開役で出ていましたので、館林役を別途用意したということですね。
舞台と違って、ドラマで同じ役者さんが意味もなく2役演じるのは違和感しかないですから当然の対応だと思います。
俳優:実写映画
実写映画で館林を演じた役者さんはいません。
理由としては、実写映画はインターハイ前で終わっているので、館林の出演シーンがないからです。
しかし、実写映画の続編があったとしても、時間の都合で館林の登場シーンはカットされるのではないかと思います。
弱虫ペダルの続編映画については別記事でも書いていますので、よかったらこちらの記事もご覧ください。
館林元成の活躍シーン
館林の活躍シーンは1年目のインターハイの1日目山岳ラインです。
初登場シーンは漫画、アニメそれぞれ以下のとおりです。
- 漫画:11巻91話「山神 東堂」
- アニメ:27話「山神東堂」
1日目の山岳ライン争いが始まるタイミングで、館林が自己紹介と共に登場し、巻島と東堂を出し抜き先行しました。
一時は山岳ラインをとれるところまで行きましたが、巻島、東堂にあっさりと抜かれ、結局3位で終わることになりました。
ただし、1年目のインターハイで総北、箱根学園、京都伏見以外で3位以内のリザルトをとっているキャラはいないので、実はインターハイに爪痕を残せた貴重な脇役なんです。
1年目のインターハイリザルトについては別記事にまとめていますので、ぜひそちらをご覧ください。
2日目以降館林がどうなったのかは特に描写がないので不明です。
ただ、翌年のゼッケンから判断すると、1年目の長野中央工業の成績はいまいちだったのではないかと思います。
ゼッケンは1番から200番台まで前年の成績をもとに割り振られるのですが、翌年の長野中央工業のゼッケンは190番台でした。
学連選抜は、200番台をつけるというルールになっていそうなので、190番台の長野中央工業は最下位だった可能性があります。
ゼッケンの詳しいルールについては、上でも紹介した下記記事を参照ください。
この成績を考えると、館林はエースとして十分な働きができなかったのではないかと思います。
途中でリタイアした可能性すらあります。
東堂、巻島と1日目の山岳ライン争いで戦ったのが影響したのかもしれませんね。
弱虫ペダルの館林元成:まとめ
館林元成は、1年目のインターハイに出場した長野中央工業高校の3年エースクライマーです。
東堂、巻島との山岳ライン争いにはやぶれましたが、総北、箱根学園、京都伏見以外で唯一3位以内に貴重な脇役です。
最終結果は明示されていませんが、長野中央工業は最下位だった可能性がありますので、館林はエースとして十分な働きができなかったと考えられます。