この記事では、弱虫ペダルの糸川修作のその後について紹介しています。
弱虫ペダルの糸川修作といえば、箱根学園の東堂尽八を自転車競技の世界に誘ったキャラです。
中学の時に、修作が東堂の才能を見出したことで、箱根学園での東堂の活躍があったといっても過言ではありません。
この話はスペアバイクの1巻及び映画「弱虫ペダル SPARE BIKE」にて語られる話です。
今回は、その後修作がどうなったかについて、進学した大学の情報等を交えながら紹介いたします。
修作のその後
修作は中学3年の時に埼玉に引っ越しをしたということがスペアバイク8巻で分かります。
箱根学園に進学していて、姿を見せないだけかと思っていたのですが、引っ越ししてたんですね。
高校では自転車競技部ではなく、空手部に入部したようです。
空手部の先輩マネージャーに惚れたというのがメインの理由だそうです。
女性に惚れやすい修作らしいエピソードといえます。
修作の進学した大学
修作の進学した大学は茨城にある筑士波大学です。
その他、修作の大学に関してわかっている情報を書いていきます。
志望理由
志望理由は、先程紹介した空手部の先輩マネージャーが筑士波大学に進学したからということです。
そんなことで大学決めてもいいのかなあと思いますが、それをモチベーションに勉強がんばったのなら、ある意味すごいです。
学部
学部に関しては明示されていないのですが、工学部を志望していたことが分かっています。
志望学部を変更したような情報がないので、おそらく工学部に合格したと思われます。
意外に理系キャラでした。
※スペアバイク公式ファンブックで「工学部」であることが確定しました。
部活
筑士波大学になかった自転車競技部を修作が中心になって作りました。
この辺の行動力はすごいなあと思います
でも、高校の時に自転車競技から離れていた修作が、大学でどこまでがんばれるのでしょうか?
もしかしたら、自転車競技をしていなかっただけで、自宅が自転車屋ですので、サイクリング等は日常的にしていたかもしれません。
空手のための体力作りにもなりそうですし。
どちらにしても、同じ自転車競技部には東堂と田所がいるので、今後の修作の成長に期待です。
東堂と田所の大学の話については、別記事でまとめていますので、あわせてご覧ください。
弱虫ペダルの修作のその後:まとめ
糸川修作は、中学3年の時に埼玉に引っ越ししていました。
高校時代は空手部に所属し、自転車競技からは離れていたようです。
筑士波大学に自転車競技部を設立し、また自転車競技に復活しようとしているようですので、これからの活躍に期待です。