この記事では、弱虫ペダルのキャラ古賀公貴がインターハイ出場に関して書いています。
小野田坂道の1年先輩である古賀公貴ですが、当初は脇役と思われていましたが、コミックス33巻で急にスポットが当たります。
自転車競技に興味がないと思われていたのに、実はインターハイにかける思いがある実力者でした。
というわけで今回は、古賀が過去にインターハイに出場したことがあるのか、謎につつまれた過去とともに見ていきたいと思います。
弱虫ペダルの古賀はインターハイに出てる?
弱虫ペダルの古賀は、過去に1度だけインターハイに出場したことがあります。
坂道達が入学する前の年、古賀が1年の時に唯一の1年生としてインターハイに出場しています。
33巻の283話にて、古賀がインターハイに出たことが明かされます。
また、手嶋の口から古賀が同級生の中でホープだったという話もでます。
なぜか古賀がインターハイに出ていたことは、坂道を始めとした後輩にはうわさレベルでしか伝わっていません。
先輩の話とか普通に耳に入りそうなものですけどね。
ここまでで、古賀の実力が分かるのは、5巻の35話で、杉元が古賀といっしょに走ったシーンだけでした。
とはいえ、その時は古賀のニックネームが「体力バカ」ということと、杉元の口から「キビシイ練習」ということが伝えられるのみでした。
実は、この時は過去の傷を癒やすための期間だったので、十分な実力を発揮できていなかったことでしょう。
ちなみに、古賀が1年の時にインターハイに出ていたという設定は、弱虫ペダルの舞台が最初でしたので、その設定が逆輸入されたのだと思います。
弱虫ペダル古賀の隠された過去
古賀の隠された過去については、33巻287話で詳しく語られます。
古賀が参加したインターハイ最終日(3日目)から話が始まります。
金城がリタイアしたことをうけ、古賀が最終日にエースとして走ることを決意します。
しかし、気持ちだけが先行して、下りの急カーブを曲がりきれず、ガケ下へと転落します。
この事故により、2年という時間を傷を癒やすことに費やされました。
もし、このケガがなければ、古賀は2年連続インターハイに出場し、キャプテンとして最後のインターハイも出場していたかもしれません。
ただ、コース設定する時に安全面とか考慮しなかったのかなあと、漫画に対して真面目なことを考えてしまいました。
古賀の最後のインターハイをかけた勝負
古賀は最後のインターハイにでるため、1000km合宿に参加します。
そこで、手嶋とインターハイ出場権及びキャプテンの座をかけて勝負します。
実力的には古賀に劣る手嶋でしたが、青八木の期待に答え、古賀に勝利しました。
古賀の実力的には、鏑木と交代でインターハイに出ることも可能だったと思いますが、いさぎよく身をひきます。
実力的には、インターハイメンバーになれるはずなので、なんでメンバーからはずしたのかなあと思ってしまいます。
話の都合といえばそれまでですが、古賀の中で気持ちが整理できたのと、この状態で自分がメンバーになっても異物になってしまうという思いがあったのかもしれません。
古賀の最後のインターハイ出場は叶いませんでしたが、サポートとしてチームを支えることになります。
ただ、個人的には鏑木よりも古賀がインターハイに出た方がよかったんじゃないかなあと思ったりもします。
鏑木がいらないという話については、下記記事を参照ください。
弱虫ペダルの古賀のインターハイ:まとめ
弱虫ペダルの古賀のインターハイについてまとめます。
- 1年:インターハイ出場→ケガによりリタイア
- 2年:ケガを癒やすのに専念→ゲン担ぎのため応援にも行かず
- 3年:手嶋との勝負に破れインターハイ出場できず→サポートとしてチームを支える
ただの脇役と思われていた古賀ですが、過去にはインターハイにも出場したことがある実力者であることがわかりました。
スペアバイクにて、古賀の過去や卒業後が描かれるのが楽しみです。